あの人のVIEW POINT

歴史に学び、継承できる人であれ。

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歴史に学び、 継承できる人であれ。

ホクレン農業協同組合連合会
代表監事 中島 道昭さん

 

Profile:1949(昭和24)年、名寄市生まれ。1999(平成11)年に49歳でJA名寄の組合長となり、2005(平成17)年に名寄・風連・智恵文の3農協合併でJA道北なよろが誕生すると、翌年に組合長に就任。もち米用の雪冷房倉庫やアスパラガスの自動結束機のほか、画像処理技術を利用したカボチャ選別機、吊り上げて計量するジャガイモ選別機など、日本初の設備を次々と導入。アジア向けの農産物の輸出も熱心に取り組んだ。2017(平成29)年6月より現職。(名寄市の自宅にて撮影)

 

この記事は2018年4月1日に掲載された情報となります。

 

私が就農した50年前は、5ヘクタールを「一戸分」と呼んでいました。うちは3ヘクタールほどでしたが、馬で耕して、田植え、草取り、稲刈り、ハサ掛け、脱穀と、全てが手作業。夏はアルバイト、冬は出稼ぎが当たり前でした。

なんとか専業でやりたいと、アイガモやキジを飼ったり、花卉を始めたり、複合経営を目指すも失敗続き。5年目にグリーンアスパラガスを東京へ出荷し始めて、ようやく農業だけで生活できるようになりました。

当時はアスパラといえばホワイトの缶詰ばかりで、新鮮なグリーンアスパラはまだめずらしい存在だったのです。

冷害に強いもち米に取り組んだのもそのころです。うるち米が混ざらないように名寄地区では全ての田んぼをもち米に切り替え、その後、風連との合併を経て、今では日本一のもち米生産団地として知られるようになりました。

私は若いうちから4Hクラブの会長や農協青年部の部長、農連の委員長などを任せられ、長く組織活動を続けてきました。人のつながりの中で教えられ、人間的にも成長させてもらったと思っています。

ところが最近は、組織の役員のなり手が少ないといいます。確かに面積も増え、人手も足らず、大変なのかもしれません。経営が順調であれば、自分だけでやれると思う人もいるでしょう。

ですが、今の環境は先人たちが相互扶助の精神で築いた土台の上に成り立っていることを忘れてはならないと思うのです。

積み重ねられてきた歴史に学び、継承して、次の世代へ手渡す。その長いつながりの中の一人として、これからの担い手には、地域のため、農業の未来のため、惜しみなく知識と能力を発揮できる人であってほしいと思っています。