ホクレン農業協同組合連合会
代表監事
佐久間 富雄さん
この記事は2017年6月1日に掲載された情報となります。
中学を卒業後、家を出ていろんな仕事をやりました。弟の学費くらいは仕送りしようと、とび職をやったり、会社員になったり。自分がさまざまな親方に使われたことで、人に気持ちよく働いてもらう術を学んだように思います。
実家へ戻って就農したのは20歳のとき。畑作農家でしたが、土地がやせて収量が上がらないので、堆肥を入れるために牛を飼い始めました。独学で飼料計算を覚え、牛舎の作業の後、一晩中、鉛筆を握ったこともありました。まだ電卓がなかったから手書きの計算だったんです。大変でしたけど、おかげで牛の頭数を増やすことができ、以来ずっと畑と酪農の二本立て。循環型農業を実践してきました。
人材育成にも熱心に取り組みました。研修生を受け入れたり、やんちゃしている若い連中を従業員に雇ったりして、農場の仕事をつきっきりで教えました。労災や失業保険をかけてあげたくて事業所として届け出をしたり、指導農業士の認定もいただきました。
30代のときにはいち早くコントラクター事業も始めました。トラクターをキャッシュで買えるくらい働きましたよ。50歳でJA士別市の常勤になり、組合長のときには5農協合併によるJA北ひびきの誕生にも携わりました。
農業は常に自分がトップです。誰にもどうこう言われる筋合いはありません。忙しいときは朝の4時から働かなければなりませんが、ちゃんと勉強して適期作業をしていれば、収益はついてくる。これが農家の醍醐味です。だから私は言うんです。農業が儲からない話をするのはもうやめようや、と。
今は民間企業の労働環境も厳しい時代です。農業の魅力を親子で地域で、もっと語り合ってほしいと思っています。