
この記事は2025年12月1日に掲載された情報となります。
浜頓別町で酪農を営んできた宇津内農場の佐々木二郎さん。新規就農を目指す人に自分の農場を譲りたいと、2024年4月に船戸恵太さん、菜穂さん夫婦を研修生として受け入れました。来秋には経営を移譲する見通しです。
POINT
●辞める時期をはっきり決めておく。
●第三者継承を望むなら、その意思を早めに周囲に伝える。
●継承希望者とは距離を保ち、外からサポートする。
●自分のやり方を押しつけない。
●取り決めた内容は仲介者がその都度、記録する。
70歳で辞めると決心

(北海道TMRセンター連絡協議会 相談役/浜頓別エバーグリーン 相談役)
「新規就農者にはサポートがあるけれど、引退する側にも新生活を始められるような支援があってもいいと思いますよ」
稚内から約80キロの距離にある浜頓別町の酪農家、佐々木二郎さんは妻と息子と3人で「宇津内農場」を経営してきましたが、70歳を区切りに辞めようと決めました。
「自分が引退したら息子㆒人でも営農できるよう、従業員宿舎も建てたんですけど、息子が『㆒人で人を使ってやるのはムリ』と言うので、それなら70歳ですっぱり辞めようと考えるようになりました」
とはいえ父と自分と二代にわたって続けてきた牧場、できれば誰かに引き継ぎたいと思いました。
「自分は35歳で戻ってきて酪農に従事しました。その後、浜頓別エバーグリーンというTMRセンターを立ち上げて、12年近く代表をやっていましたし、『もう辞めた』と投げ出すのは無責任かな、と考えるようになりました。地域の主産業といえる酪農を次の世代につないでいく責任があると思ったのです」
そこで、役場とJAに連絡。新規就農者に譲る意向を伝えました。力になってくれたのはTMRセンターの構成員である鷲尾武瑠さんを始めとする地域の若者たちでした。鷲尾さんは、東京から単身でやってきて新規就農した30代の酪農家。「お世話になったから、自分が新規就農の希望者を連れてくる」と頑張ってくれました。その鷲尾さんの紹介でやって来たのが、船戸恵太さん菜穂さん夫婦です。
酪農家の暮らしに憧れて

佐々木さんを紹介された日は、菜穂さんの誕生日。「すごいプレゼントだと思ったから忘れません」と菜穂さん。
船戸夫妻は二人とも酪農学園大学の出身。恵太さんは卒業後、牧柵などを扱う畜産資材の販売会社に勤め、牧場を回るうちに酪農家に憧れるようになりました。
㆒方、菜穂さんは神奈川県の出身。小さいころから牛が好きでゲーム「牧場物語」に夢中になり、「牛が幸せな牧場をつくりたい」という漠然とした夢を持って酪農大に進学。恵太さんと同じ会社に勤めました。
そんな二人が新規就農を目指して会社を辞めると同時に結婚。最初の2年間は日高で酪農ヘルパーに、次は道東に移って研修に入ったものの、チャンスはなかなか巡ってきませんでした。
そんなときに目にしたのが鷲尾さんのSNSです。「酪農で新規就農したい人いませんか」と離農跡地の空き物件が紹介されていました。恵太さんは言います。
「家族を振り回して、何回も引っ越したし、今回決まらなければ諦めようという気持ちでした」
ようやく見つけたチャンス
浜頓別にやって来た恵太さんが働きながら暮らせるように、ヘルパー利用組合の組合長でもある鷲尾さんが研修生住宅を段取りしてくれて移住できたのですが、その後紹介されていた離農跡地を見学に行くと、直前の大雪で牛舎が潰れていました。
がっかりしたものの、新たな就農先を探しながらヘルパーとして働き始めて3カ月目に紹介されたのが、佐々木さんの宇津内牧場でした。
「ヘルパーとして来ていたので、佐々木さんとも面識がありました。話を聞いたときは『やった!』と思いました。まだ牛がいる状態で、これから生まれてくる牛もいると聞いたので、イチから始めるよりもリスクが少ないなって」
さっそく夫婦で見学に行き、翌朝にすぐ返事をしました。佐々木さんが驚くほど素早い決断でしたが、船戸夫妻にとっては何年も探してようやく見つけたチャンスだったのです。

自宅も譲って市街地に転居
船戸夫妻は宇津内農場の敷地内にある従業員宿舎に引っ越し、4月から研修をスタートしました。
佐々木さんのご家族と船戸夫妻が㆒緒に働いたのは3週間。その後、佐々木さんは市街地に引っ越し、船戸さんが入居しました。当時を振り返って佐々木さんは次のように話します。
「最初の10日間ほど何も言わずに二人の様子を見ていましたが、ちゃんと仕事ができていたので、任せたほうがいいと確信しました。1年前から引退後のために市街地に自分の住居を準備していたこともあり、自宅も提供しました」
愛着のある自宅を譲ることに抵抗はなかったのでしょうか。
「酪農は24時間365日、牛をみる覚悟がなければできません。決まった時間に通ってできる仕事ではありません。新しい人にきっぱりと仕事を託すべきだと思ったので、住宅を譲ることは当然と思っていました」
住み慣れた地域を離れるご家族はどうだったのでしょう。
「妻も喜んでいます。すっかり街の暮らしになじんでいます」と佐々木さんは笑顔で話します。
やり方は継承しなくていい
引っ越し後も、毎日、牧場に通ってきてくれた佐々木さん。船戸夫妻の2歳の娘の子守りを買って出る㆒方、仕事にはほとんど口を出しませんでした。
「農場は継承してもらっても、自分のやり方や考え方を継承させるつもりはありませんでした。年長者としては、若い世代にあれこれ指示したくなりますが、㆒歩も二歩も引いたところから見守ってあげたほうが彼らものびのび仕事できる。だからパッと身を引きました」
仕事を引き継いだ船戸夫妻は佐々木さんの接し方をどのように感じていたのでしょう。
「ありがたかったですね。まだまだ疑問や不安はあるので、いつも佐々木さんに電話して、これで大丈夫ですかねって相談してます」(恵太さん)
「必ずサポートしてくださるという安心感があるので、大船に乗った気持ちです」(菜穂さん)
引き継いでから、作業の順番や時間帯は二人の都合に合わせて変えました。資材も自由に選んでいます。最初は乳房炎が出たり、機械が壊れたり、トラブルが続いたこともありましたが、「最近ようやく落ち着いてきました」(恵太さん)。

つなぎ牛舎は満床で72頭入る広さ。コンスタントに60頭くらい搾乳するのが目標ですが、いまは44頭。「佐々木さんから繁殖は大事にしなさいと言われていたのに減ってしまいました。力不足です」と恵太さん。経験しながら学んでいる最中です。
JAが話し合いを記録
実質的に経営を任せているとはいえ、二人はまだ研修中です。
「経営者と同じ気持ちでやってほしいから、発注も任せています。儲かった分は彼らのもの。儲からなかったとしても、自分が残した負債と合わせて全部自分が支払うから安心して大丈夫と言ってます」(佐々木さん)
来秋の経営継承の手続きに向けて、普及センターや農業公社からアドバイスを受けつつ、施設改修の計画も進めています。資金は農業公社のリースと、国の青年等就農資金、町の補助金を組み合わせる予定です。
「研修に入る前から、JAの方が間に入って、お互いの希望や取り決めを客観的に記録してくれています。都度発生する金額はどちらが持つか、どのタイミングで支払うか、細かく記載して、後から言った言わないにならないようになっています」(菜穂さん)
第三者継承の難しさ
佐々木さんと船戸夫妻の経営継承はスムーズに進んでいますが、継承を進めていく中で、研修に入ったものの折り合いがつかずに頓挫するケースもあります。うまく進めるコツはあるのでしょうか。
「自分は最初に3月末で辞めること、牛100頭と土地と家でこんだけと金額をはっきり伝えて、それでよかったらおいで、と言いました」と佐々木さん。
「そのうち辞めて譲るとか、期限をはっきり決めないまま、とりあえず研修に入るとか、譲渡の金額が未定とか、そういうケースが多いんです」と恵太さん。
家族と㆒緒に生活の場を移して研修に入っても、就農がいつになるのか分からないとなると、意欲も薄れてしまいそうです。さらに「技術や経験が豊富な経営者の考えを㆒方的に押し付けられると、精神的に負担が大きい」と菜穂さん。
だからこそ、ある程度、距離を置きながら見守ってくれる佐々木さんを「親方として最高」と二人は絶賛します。
「継いでくれる人がいるのであれば、いろいろと言いたくなるのをぐっとこらえて、彼らの意思を尊重した方が良いと考えています。経営は移譲するけど、やり方までは押しつけないのが大事だと思います」
そう強調してくれた佐々木さん。船戸さん夫婦が地域に根を張り、酪農を盛り上げていってくれるのを願っています。