あの人のVIEW POINT

農業者のこころは、作物が伝えてくれる。

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板谷さん

ホクレン農業協同組合連合会
代表理事副会長 板谷 重徳さん

 

Profile:1946(昭和21)年、旭川市生まれ。両親が農地拡大のため東川に転居。24歳で結婚し、2.5haの田んぼをもらって分家。以来、農作業の受託をしながら農地を拡大。1976年に(有)板谷農場を設立し、現在は息子とともに115haで稲作を営む。2002(平成14)年にJAひがしかわの組合長に就任し、「東川米」の地域団体商標登録や種籾の温湯消毒処理施設の導入などを手がけた。2014年より現職。(東川町の板谷農場にて撮影)

 

この記事は2017年4月1日に掲載された情報となります。

 

 24歳のとき2.5haではじめた田んぼが、今は115haになりました。田植えのときは東川町内の民宿の主人や山のガイド、スキーのインストラクターなど30人ほどが毎年手伝ってくれます。面積が大きいから田植えに2週間かかり、資材や機械のやりくり、人の手配も欠かせません。

今思えば、若いころ受託業務で自分の田んぼだけじゃなく、人の田んぼも考えて仕事をしてきたことが役に立ちました。人が「そんなのムリだ」という面積をどうすればできるようになるか。資材は、人は、期間は……と数字に置き換えて考えてみる。平均反収や平均米価を把握しておけば、どのくらい投資できるかも見当がつきます。

 近年、北海道の米は道内だけではなく、本州からの引き合いが増えています。卸業者が求める量を出せない場合もあるほどです。だから、北海道の生産者は「売れる米」だということについては自信と誇りを持っていいと思う。

私の地元、東川町は長く北海道神宮の神饌(しんせん)米を作っていることもあり、いい米を作りたいという気持ちが強いのですが、生産者の心を伝えるのはやはり作物。自分の心を伝えたいと思えば最大限に努力するし、必然的に安心・安全でいいものができると思うのです。

 私は昭和44年に分家して独立しましたが、減反政策が始まったのが45年。制度はあれこれ変わっても、結局は自信と誇りを持って自分の仕事をするだけではないでしょうか。楽観的すぎるのはよくありませんが「百姓の来年」という言葉があるように、「来年があるさ」という前向きな気持ちも大切。朝になれば太陽はまた昇る。先人の知恵と技術、そして現代の科学と技術を信じてともに農業を続けていきましょう。