あの人のVIEW POINT

聖職という誇りが私の力になる。

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瀧澤義一さん

ホクレン農業協同組合連合会
代表理事 副会長 瀧澤 義一さん

 

Profile:1949(昭和24)年、鶴居村生まれ。野幌機農高校(現・とわの森三愛高校)酪農経営科を経て帯広畜産大学別科を卒業後に就農。JA くしろ丹頂の組合長を経て、2011 年より現職。北海道牛乳普及協会および北海道乳質改善協議会の会長も務めている。学生時代から野球を続け、農協の役職員チームで活躍。58 歳まで現役でプレーを続けたスポーツマンとしても知られている。(鶴居村の清和農場にて撮影)

 

この記事は2017年2月1日に掲載された情報となります。

 

15歳のとき、野幌機農高校に進学するため、鶴居村を後にしました。汽車の中から釧路湿原を見て「いつかここを全部草地にしてやろう」と思ったものです。まさか国立公園に指定されるなど考えたこともありませんでした。

高校卒業後、帯広畜産大の別科を経て20歳で就職したのが、「清和農場」。父が親戚や近隣の酪農家5戸と共同で1964(昭和39)年に設立した農事組合法人です。当時飼養していたのは80頭くらいだったでしょうか、あれから半世紀が過ぎ、今は800頭まで大きくなりました。

旧鶴居村農協は「組勘」発祥の地です。生乳を出荷しても代金が入るのは1カ月後。生活費や営農資金に困るということで、貸付と預金を組合員の口座で相殺する「販売仮渡し金」の制度をスタートしたのが1957(昭和32)年。これを釧路中央会が「短期貸越制度」として体系化し、4年後には北農中央会が「組勘」として取り上げて、全道に広がりました。

この組勘が経営発展を阻害していると規制改革会議が廃止を提言しましたが、北海道で組勘が普及した理由をもっと理解して欲しいと思います。

私は、若いころからずっと農業は「聖職」だと思ってきました。食糧生産で国を支える、そうした誇りがあるから、きつい労働も経済的な困難も乗り越えてこられたのです。

幸いなことに最近は、違う職業に就いた農家の子弟が故郷に戻り就農するケースが増えています。一方で、都市部で生まれ育った若者の中にも農業に興味を持つ人が出てきています。

いきなり自営での新規就農は難しくても、農業法人で働きながら経験を積めば、独立するチャンスは大きいはず。自ら経営する、しないに関わらず、農業を生涯の仕事として選ぶ人が増えてくれることを願っています。