海外を視野に入れ常に先を見ながら営農を

キーワード:あの人のビューポイント

ホクレン農業協同組合連合会 代表理事会長 篠原 末治

ホクレン農業協同組合連合会 代表理事会長
篠原 末治

この記事は2020年12月1日に掲載された情報となります。

畑作農家に生まれ、小さな時から両親の手伝いをしてきて、なんのためらいもなく農業の道を選びました。

20歳の時にカリフォルニアの大規模な野菜農家で7カ月ほど研修をしたのですが、若いうちに日本と違う農業を体験したことが自分の考え方のベースになっているような気がします。

親から経営を譲り受けたのは26歳で、当時は20‌ha程度の面積でしたが、将来はきっと海外と競争するような時代がくるという思いを持って農業をやってきました。

昭和50年代後半は1年おきくらいに冷害があって、早霜で1日にして豆が全滅したり、雨が続いて馬鈴しょが腐敗したりした経験もあります。

自然相手の農業であっても、そうした気象の影響をいかに最小限に抑え、強固な経営にするかが課題でした。

いち早く法人化したのも、会社として安定した経営ができる農業を目指していたからです。

大切なのは、常に先を見ながら営農すること。

いま国際貿易協定が次々と締結されている中で、日本の農業も国際競争力を持たなければならない時代です。

私は海外を意識して、時間がある時はヨーロッパなどへ視察に出かけましたが、むこうには弁護士や会社員をしながら農場を経営したり、学校の先生が定年退職後に農業を始めたり、いろいろなスタイルがあるのに驚きました。

私たちもICTなど省力化技術を積極的に取り入れて、時代にあった農業に取り組んでいかなければなりません。

あとは仲間づくり。

やはり仲間がいてこその農業だと思うので、協同の力を大事にして、助けあい学びあいながら前に進みたい。

次の世代へつなぐためにも、国際競争力を意識した農業経営者が増えていくことを期待しています。

Profile
1961(昭和36)年、士幌町生まれ。北海道中央農業学園卒業後に就農。2007年に株式会社シノハラとして法人化。現在は共同経営者と娘婿が中心となり、約150haの農場で畑作4品とデントコーンを生産している。JA士幌町の組合長を経て2020年6月より現職。「農家しか知らないから、ほかに趣味がない」と、休日は自宅に戻り畑に出ることが多い。