
この記事は2025年4月1日に掲載された情報となります。
郷栄農場株式会社
鴨志田 敬郷(けいごう)さん(JA摩周湖)
繁殖から肥育まで、黒毛和牛の一貫生産を行う弟子屈町の鴨志田敬郷さん。2027年に初めて北海道で開催される和牛のオリンピック「全国和牛能力共進会」に向けて技術の普及を目指す和牛マスターに任命されています。
北海道立農業大学校へ進学
—いつごろから農業を継ごうと思っていましたか?
鴨志田:動物が好きで、よく牛舎に遊びに行ってたんです。小学生の時に乗り合いをしている牛を見て、母親に報告したら「あの牛はずっと発情がこなくて困ってた」って言って。
人工授精をして子牛が生まれたので、原理が分からないけど発情を見つければ牛が増えるんだと気づいて、学校から帰ったら発情の牛はいないか牛舎を見回るような子どもでした(笑)。
—農業大学校に進んだ理由は?
鴨志田:周囲に丸め込まれた感じですね。2年間の養成課程の後、研究課程へ進学。和牛の本場兵庫県の肉牛農家へ短期研修に行きました。
但馬牛の歴史をつくったブリーダーの㆒人で厳しい方でしたけど「よう見てけ」と受け入れてくれて。その後、高校時代の先生の実家である秋田の牧場でも研修させてもらました。
岩手県での師匠との出会い
—岩手にも行ったんですよね。
鴨志田:兵庫の親方に紹介されたのが岩手の佐藤勝俊さん。全国和牛登録協会の参与をされていた方です。
「北海道は全国共進会に牛を出せるようになったけれど、まだ牛を見せる技術はない。あなたが追い縄の第㆒人者になりなさい」と言われたんです。
追い縄とは、縄㆒本で牛を操る調教技術です。初対面なのに「今からあなたは牛、私がハンドラーだ」と、縄㆒本で僕はぶっ倒されて。このじいさんは何なんだ、と(笑)。
そこで調教の基本技術を教わって、帰ってきてからは自分の牛で練習して、分かんない時は師匠に電話して、という関係になりました。
—共進会に出品するようになったきっかけは?
鴨志田:高校時代、牛の競りに行くと、釧路管内の競りになると買い手がいなくなる。
根釧地区は和牛の歴史が浅いので質が良くないって思われていたんです。牛にブラシをかけてきれいに仕上げても見てもらえない。
それがすごく悔しくて。だから共進会で、いい牛がいるんだと知ってもらいたかった。
—それで最高位を受賞するまでになったんですね。
鴨志田:出品を始めて10年目の2019年、北海道総合畜産共進会の肉用牛の部で最高位賞を受賞しました。
多くの人に知ってもらうにはまず結果を出さないと、と思っていたので、うれしかったですね。

共進会を通じた結びつき
—共進会に出す意義とは?
鴨志田:僕は農大の肉牛管理部の部長だったんですけど、共進会は1年に1回、大学校時代の友人と会える貴重な場です。
その晩はみんなで酒盛りできるから、楽しみですね。2023年の総合畜産共進会では、僕は母系群という部門に出品したものの㆒等二席で最高位決定戦に進めなかった。
ところが釧路肉牛振興協議会の仲間が㆒等㆒席をいくつもとって団体優勝したんです。
僕が共進会を始めたときは黒毛を共進会に出すような人は釧路管内に㆒人も居なかったから、こんなふうに仲間やJAの職員と㆒緒に頑張れたことが夢のようで、その日はずっと泣いてましたね。
—地域に仲間ができたんですね。
鴨志田:農大はみんな家畜人工授精師の免許をとるので、自分でもできるんですけど、僕はお金を払っても人と接する機会をつくっておきたくて、JAの授精師に頼んでいます。
多いときは毎日来てくれて、そのたびに話をするし、僕より若い世代なら愚痴の聞き役になることもあるし。
ずっと続けてほしいから、持ちつ持たれつで㆒緒に頑張りたいと思います。

和牛本来の系統を守るために
—これからの目標は?
鴨志田:僕は頑固なんで、協会からこういう牛をつくってくれと頼まれても「それは俺の牛じゃねえ」って断っちゃう。
ホルスタインは世界中にいるけど、和牛は日本だけじゃないですか。
当然、時代にあった改良も必要ですけど、原種は原種で保存しなければ失われてしまう。
師匠からも「純粋血統はお前が守れ」「後は頼んだぞ」と言われているんです。実は僕、高校時代からお年玉や小遣いで純血とされる牛の種を買って凍結して残していて。
誰も覚えていない昭和30年生まれの牛の種もある(笑)。ブリーダーとして和牛本来の系統牛を守りつなげていきたいと思っています。